奈良の大仏

mituru2004-03-06

奈良の大仏は、奈良時代の代表的な寺院、東大寺大仏殿に安置されています。大仏殿は世界最大の木造建築物で天平15年(743)に聖武天皇が盧舎那大仏建立の勅願を発令し、その大仏を安置する寺として国力を挙げて造営されました。天平勝宝4年(752)に大仏殿が完成。以降次々と堂塔が建築され40年近くかけて寺観が整いました。都が長岡へ移ったあとも歴代天皇の手厚い保護を受けて、興福寺とともに栄華を誇りました。しかし、治承4年(1180)平重衡の軍勢によって大仏殿をはじめ伽藍の大半を焼き払われてしました。重源上人によって再興されましたが、永禄10年(1567)の三好・松永の乱で、わずかな建物を残して再度焼失してしまいます。現在の伽藍の多くは江戸時代に再興されたものです。
奈良の大仏 http://boss2000.fc2web.com/b-5504.htm
1997/11/24 2002/01/10
奈良を訪ねるときはいつも車を利用するので、つい東大寺近辺の駐車場に停める。いつでも来ることが出来る気安さから季節を問うこともない、また、二月堂を下る道は私の好きな散策道でもあり、なんとなく足が向いてしまう。

奈良の大仏開眼1250年慶讃大法要

五色幕が張られた大仏殿、広い参道を進む正装の僧侶たち。広い前庭には大幡(おおばん)や庭幡(ていばん)がひるがえる。平成14年10月に営まれた東大寺大仏開眼1250年慶讃大法要は5日間にわたって盛大に行われ、参列者は10万人に及んだそうです。
大仏開眼1250年慶讃大法要 http://boss2000.fc2web.com/b-5512.htm

鎌倉の大仏

鎌倉の大仏は、長谷の高徳院にあります。「吾妻鏡」という書物によると、鎌倉幕府の第3代執権・北条泰時の時代に、ある僧が、日本各地をまわって寄付を集めて、1238年から大仏と大仏殿をつくりはじめ、これに泰時が協力して建立したとされています。大仏の開眼式は、5年後の1243年におこなわれました。最初の大仏は木造でしたが、暴風雨でこわれたあとに、1252年に銅でつくり直されました。大仏は、もとは大仏殿のなかにありましたが、台風で大仏殿がこわれ、さらに1495年の大津波で大仏殿が流され、今のような屋外の大仏になりました。
鎌倉の大仏 http://boss2000.fc2web.com/b-3063.htm
2001/11/05
横浜から箱根への途中、鎌倉に立ち寄り、江ノ電を乗り継ぎながら鎌倉界隈を歩きました。きちんと区画整理された都市部とは異なり細道や曲がり、上り下りに興味も沸き紅葉には少し早い時期でしたが十分に風情を楽しむことが出来ました。

岐阜の大仏

奈良、鎌倉の大仏と並び、日本三大仏の一つと言われる「正法寺」の岐阜大仏は竹をカゴのように編んで骨格を作ったカゴ大仏で、この技法では日本一の大きさを誇ります。周囲1・8mの大イチョウを真柱に、大仏は像高13・63mと鎌倉大仏よりも高く、その体の中には胎内仏として薬師如来像も安置されています。
大仏の開眼供養の時は、織田信長の居城以来の盛儀だったと伝えられており現在では、重要文化財に指定され日本一の乾漆大仏で有名です。
岐阜の大仏 http://boss2000.fc2web.com/b-4189.htm
2001/05/10
下呂温泉、飛騨高山への途中に岐阜に立ち寄る。新幹線は岐阜羽島でしか停車しないので案外と訪ねにくいところ、織田信長の居城があったところでもあり、金華山長良川柳ケ瀬ブルースなどでも知られる。岐阜大仏は金華山の麓近くにあり、大きな建物の中に安置され金色を帯びている。また、金華山の麓には板垣退助銅像があり板垣退助遭難の地との銘が書かれており、土佐の自由民権の志士の最後の地であることを知る。