奈良 吉野山

2003/04/07-04/16
去年の花見は大阪城公園信貴山法隆寺吉野山など、よい天気を見計らって散策する。大阪城公園の桜は4〜5年振りになるだろうか。
生駒スカイラインを経て信貴山に参拝するのは今回が初めてで、奈良県大阪府の県境を縦走する景色は楽しめる、桜並木のドライブウエイを西に東大阪、東に奈良をと、車窓に流れる春の風景はいいものだ。
去年の吉野山は中千本、上千本共に見事に開花、久し振りのハイキングに少々疲れ気味だったことを思い出す、吉野山全体が桜色に染まる風景は他に類を見ない。
吉野山 http://boss2000.fc2web.com/b-5651.htm

吉野山 蔵王堂

吉野山 http://www.sakura.yoshino.jp/ より抜粋
金峯山の高台にそびえたつ、東大寺大仏殿に次ぐ木造の大建築。現在の本堂は1592(天正20)年に再建された、室町末期を代表する建造物です。正面5間、側面6間、建物の周りに藻腰を付けた入母屋造り、桧皮葺。高さが約34mもあるので、吉野を巡る折々にその威風を見ることができます。本尊として3体の蔵王権現像をまつり、中尊の高さは7m余りの巨像。堂内は内陣と礼堂からなり、松やチャンチン(ツツジの一種)など自然木を素材のまま使った柱68本が林立するさまは豪壮です。また、内陣の2本の金箔張りの化粧柱や須弥壇は太閤秀吉が花見の際に寄進したものといわれ、桃山建築の美しさを残しています。

吉野山 吉水神社

もとは吉水院という、金峯山寺の格式高い僧坊でしたが、明治のはじめ、後醍醐天皇楠木正成、宗伸法印をまつる神社に改められました。吉野へ潜行された後醍醐天皇を、吉野大衆の中でも特に力をもっていた住職、宗信法印がお迎えし、吉水院は一時行宮となります。源義経静御前や供のものと逃げのびてきたのも、太閤秀吉の花見の本陣となったのもここです。当神社には南朝の古文書や武具、秀吉の花見に使われた楽器など、100点を超える宝物が残っています。また、初期書院造りの傑作といわれる書院建築で、義経潜居の間、後醍醐天皇玉座の間、太閤秀吉花見の間があります。

吉野山 如意輪寺

創建は901〜22(延喜年間)年と伝えられています。1336(延元元)年、後醍醐天皇勅願寺とされた寺。天皇没後、楠木正行が大阪四条畷の戦いに出陣前、鏃で記した辞世の歌が堂の扉(宝物殿に保存)に残ります。森のなか、静寂につつまれた境内には正行一行の髷塚もあります。